Monday, April 1, 2013

Mana Hashimoto を書く。






 昨日電話があった。。


          私のNY時代が始った10数年前に友人に取材の撮影と言われて出会ったのがパフォーマンスアーティストのMana Hashimotoだった。その日からなぜかお互い男兄弟の中で育ったゆえ、これが姉妹というものなのかと思うように、パフォーマンスのこと、写真のこと、そしてイチバンどうにもうまくいかない恋愛の話しでお互いアップダウンしながら、お互いの密度の濃い話しを毎日のようにしていたと思う。(もちろん私がお姉さんなんだけど)
 
   私がNYを離れ、しばらく連絡をとっていなかった彼女から昨日電話があった。日本に2年ぶりに帰国していた。私に伝えたかった嬉しいニュースは彼女がアーティストグリーンカードを手に入れたこと。
 アーティストグリーンカードは普通の永住権とは違い、過去のアメリカでの地道なアーティスト活動と仕事、受賞記録などが加算されてもらえるものだ。20年間のアーティストビザをやっとグリーンカードに更新できた。彼女はこれを勲章だと言った。


                             
  


          コツコツとパフォーマンスを企画し、演じ続けた。大きな後ろ盾や、ビッグネームのエージェントも存在しない。ただ黙々とその時その時の企画に会うパフォーマー、日本から来る舞踏家達、ミュージシャン、映像家達とのコラボレーションを造りだした。
 
 企画のほとんどは自分でする。そして映像も彼女自身で撮影した。ヨーロッパ遠征へは一人娘と共に何度も旅立った。そんな記録をすべて弁護士を通して提出した。念願のアーティストグリーンカードを手にする日がきたのだ。
 

 ”アーティストとして米国にいてもいいよ。” 
 という印をやっともらえたと彼女は言った。


  

                           
   
  その報告は私の心を震わせる。心の底からうれしい。きっと将来彼女が大きな賞を受賞したとしても、今のうれしさと同じぐらいなんだろうと思うほどだ。
  
  私は長年、彼女が見える写真を撮ろうと思ってきた。表面に映るだけではない彼女が見える写真。そんな中にずっといた。彼女が見ているものと、私が見えているものは、ほぼ近いはずだ。目の前に見える物に惑わされないだけの”力”が私に備わっていれば。いつもそう思ってきた、、、私はハッと気づく。彼女の声を聞いた時。
 きっと今その気持ちを私に確認させるために、彼女から電話がかかってきたのかもしれない。姉妹のコネクションみたいな不思議な力で。
 私はこれから未知の世界に飛び込もうとしている、その私に何かを気づかせるために。

 
   彼女は20歳の時にNYで視力を失った。ひとりでNYに渡りバークレー音楽学校を卒業後、パフォーマンスアートの世界に入った。現在はひとり娘がいる。

  アーティストグリーンカードを取得して、新しいアーティスト人生を彼女はこれからも静かに、そして自分の呼吸が届く場所でパフォーマンスを続けていくのだろう。
  
いつかコラボレーションをしようねと言って私達は電話を切った。





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